2011/01/20

問いかけ。

芥川賞。受賞。

「私小説」。

これも「仕事」として成立する事。

書いてみようか?。と今日思った。

ただ、そう考えて、書くという余裕が私にあるのなら、

と又、振り出しに戻る。

何かを取り入れたいと思っても

その取り込む余裕の無い自分がいる。

やはり、自分にとって「無」は快楽に等しいだろうな。

0になる。また1から進むという問題ではなく

「0」は「0」がいい。何か「才能」や「知識」があっても

自分が「0」ならば、掛けても、×ても「0」になる。

周りが「足す」事を考えれば、増えていくのに。皆は×賭け。ばかり。

ああなるだろう、こうなるだろう。
「0」であれば、何も「未来」も考えなくてもいい。

この先にもっと何かあるかもしれない、

と人生を諭される。

実際自分でも考え方を変えたら、確かにそう思う。

ただ、

最近、父が死んだ。生前に、

「父」が、××××ないんだったら「死んだほうが」いいと

言っていたのを思い出す。なので、自分で言っていたんだから、幸せだったろうなと思う。

それは、皆がいう、悲しむのは「思い残す事」がたくさんあっただろう、という声を聞いていて。

自分には「思い残す」事は無いと思っているから。

「言っていた事が現実」になったのだから、「幸せ」と思う。

それだけでも気が楽になる。楽にする、というのが正しい?

悲しい考え方。

今、何をしたいのだろう?

一度、0、になって、無からのスタート?

思うに、これが、一番正直「体にやさしい」。

良いと自分に思えるように方向を変えると、

自分健康管理主義の今の時代に当てはまる。

ただ

実際これを「唱えて」いる人達って「自分」とは違うと思う。

結果

体にやさしくないのを選べば、「継続する力」の方がつらい。

「創業者」までのプロセスを振り返っても、「体」につらく、

創業者としての「自分」は器ではなかったように思う。

Lee Friedlander





William Klein

Robert Frank

よく「アメリカン」と言わないよ!!と

洋服屋でいう人がいる。

「アメリカン」とはスタイルであってもいけないのだろうか

この本を見せてあげたい。






LIFE

今、一人で,

じっと、が耐えられない。まず「人」と話しをしたくない。

好きな音楽でもない。

ならば「写真」。か?。やめていた理由は「右目に障害」があるから。

「無」を考えた今、それも消えた。

よく「ストーリー」に描かれたようにうそ臭いと、「嫌われる」。

8月24日のBLOGを見てもらうとわかりやすいが

偶然が重なる。

会社勤めをしていた時の社長の副業が「カメラマン」。

撮影を手伝ったりしていた。その後の職が「イベント」企画。

「アシスタントデレクター」の肩書きを頂いた。

両社とも「少なくとも、大きい会社の」仕事に携わった。

他人が私に対して言うとき、

よく返す言葉は、「職場の人間、昔の同僚に聞け」と。

ウソはない。世の中ってそんなに「ウソ」が多いのか?と思う。

ただなんとなく「嫌われる」。

先日「カメラ」について話した。後で聞いたら

別に「カメラ」に詳しくないのに、こいつ何言ってんだろう?と。言われた。

それだけ、余り自分の事を言わない。だけ。



能力ではなく「趣味」。「趣味」がただ範囲を超えるくらい、没頭した結果。

男で在る以上、男らしくが信条。

簡単に言うと「仮面ライダー」が好きで、「秘密基地」が好きで、「ホラーがキライ」。

2011/01/19

再開

BLOGをしばらく休んでいた。

余裕が無かった。

さらに、今、余裕も作れないほどの自分。

親族の犠牲ばかり考える日々に直面し、自分で今の自分も犠牲にしている。

並半端な犠牲ではない。自分が与えた物だけで、家が3、4軒立つ。

それまでして、更に悪夢。

結果

好きな事をしよう、それが「無」になってもと思う。「無」になる事は

最終の「自分の快楽」と思う。胃を取った時、目を不自由にしたとき、火災から逃げ出したとき、

何かを求め過ぎた。自分の持っているものを見失っていた。

とりあえず「舵」をとろう。「快楽」の前にと決めた。

「Robert Merton Solow」

「一人で行く人は今すぐにでも出発できるが、
他人と一緒に旅する人は他人が準備するまで待たなければならない。」

適切なような気がする。

今、変わったことは「1人」だという事。

2010/09/08

業務の蛇の目。
十分かっこいい。
色と鉄感。
ミシンだけで
5台はある。
使わないのに。