芥川賞。受賞。
「私小説」。
これも「仕事」として成立する事。
書いてみようか?。と今日思った。
ただ、そう考えて、書くという余裕が私にあるのなら、
と又、振り出しに戻る。
何かを取り入れたいと思っても
その取り込む余裕の無い自分がいる。
やはり、自分にとって「無」は快楽に等しいだろうな。
0になる。また1から進むという問題ではなく
「0」は「0」がいい。何か「才能」や「知識」があっても
自分が「0」ならば、掛けても、×ても「0」になる。
周りが「足す」事を考えれば、増えていくのに。皆は×賭け。ばかり。
ああなるだろう、こうなるだろう。
「0」であれば、何も「未来」も考えなくてもいい。
この先にもっと何かあるかもしれない、
と人生を諭される。
実際自分でも考え方を変えたら、確かにそう思う。
ただ、
最近、父が死んだ。生前に、
「父」が、××××ないんだったら「死んだほうが」いいと
言っていたのを思い出す。なので、自分で言っていたんだから、幸せだったろうなと思う。
それは、皆がいう、悲しむのは「思い残す事」がたくさんあっただろう、という声を聞いていて。
自分には「思い残す」事は無いと思っているから。
「言っていた事が現実」になったのだから、「幸せ」と思う。
それだけでも気が楽になる。楽にする、というのが正しい?
悲しい考え方。
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